グラフィックデザイナーだけはやめとけ。

一生貧乏で、一生孤独なしんどい職業です。

どうしてもデザイナーになりたかった。

デザイナーになりたいと思ったのは、

中学の図書館でそういう職種がある
と知ったあたりから始まるのかな。

 

とにかく勉強も、学校という集団生活もイヤで
高校へはいかずに、手に職をつけたかった。

小学生の頃、親の仲が悪くて
結婚はしたくないなあとも思ってたし。

 

しかし、中学3年間担任だった教師
(身体でかい角刈りの男)に、

母親と共に呼び出され、
高校にだけは行った方がいい。と教室で泣かれ。


あ、そんなに言うなら...と
なんか、解んないうちに、決められた私立の高校に
なんか、変な方法で、入ったっぽいです。

 

その辺りから、こう自立心がなくなって(笑)
一生パラサイトでもいいなーとか思い出すんだけど
金を稼ぐ事が好きなので、とにかく土日バイト。
そして、金が貯まると同人。
愛知県、三重県岐阜県、大坂、東京、静岡。
とくに。愛知県は当時イベントやってた会場
ほとんど行った事あったと思う。
なんでも、どこまでも1人で行った。
同人誌は楽しくて、クリエイティブな部分は
満たされるがお金にはならないので
バイトの方に傾いていったかな。

 

で、もう少し遊んでいたくて
高校の時、一番好きだった女の子が行くと言った
専門学校へ進学する。

タルタルな学校だったけど、一応講師は全員
現役のデザイナーとかライターだったと思う。

 

まだ、マックがなくて
製図、エアブラシ、版下の指定、
写真の授業があったかな。

スキル的には全然意味ないけど、
呼び方とか、手順を覚えられたのは、実践で助かった。

 

卒業したものの、時代は就職氷河期
上京した友達のうちで居候しつつ就職面接行くけど全滅。

結局、バイトしながら、地元で面接を続ける。

でも、受かる事は無くて

友達の友達(デザイナー)の紹介で
イラストレーターの弟子みたいな形で
夫婦2人のデザイン事務所を紹介されたけど
さすがに色々とキツくて3ヶ月でやめる。
(過去3人とも3ヶ月だった)

 

そろそろ諦めないとだめかなーと思った22位の時
本当に、デザイナーになりたいのかって自分に初めて聞いた。

 

色んなバイトしたけど、デザイン以上に
夢中になれるものはなかったし、

何かを作ることが続けたくて

どうしても、デザイナーになりたい。
仕事をしてから無理だといいたい。

なんとしてでも会社に潜り込もうと、同人誌やってた時、
お世話になったの印刷屋のおじさんに泣きついて
なんとか、デザイン事務所にもぐりこんだ。

 

ええ、ヒドイ借金まみれの事務所でしたよ。
と、まあ名古屋でもう1件イベントもやる
プランニング会社でデザイナーとして
合計5.6年。そこそこ頑張ってたつもりで
東京でデザイン事務所に入ったら、
全く、スキルが足りなくて、ボロカスですよ。
石の上にも3年といえど
おまえの見ている物は、美しくない
「役に立たないから帰れ」
「やるだけムダ」
「なまってるから、電話に出るな」

いやー辛かったなあ。
本当に、デザイナーとして適正がないんだなーと
親にセンスない育て方を八つ当たりしたりしたもんです。
(ごめん。)
でも、本当に毎日毎日辛かったんだよ。

その時に、辞めるか?と何度も思った。けど
どうしても、デザイナーになりたかった。
明確なビジョンはなかったけど、
ちゃんとデザイナーとして仕事が
できるようになりたかった。

その為には
1.親の死に目にあえなくていい。
2.早く死んでもいい。 
3.人並みに幸せになれなくていい。と自分に誓った。

それほどまでに、過酷だったんだよ。


仕事以外の他のモロモロは、全て捨て
デザイナーの社長の罵倒に耐え、
プライド捨てて先輩に甘えながら赤字を入れてもらい
どんなに身体がシンドくても出社した。
(で、会社のトイレで吐いた)
2年間1度も休まなかった。
ほぼ毎日、終電近くでしか帰れなくて、
借りてる部屋。空気に家賃払ってるもんだったな。
でも、絶対朝9時には出社して、
まずトイレ掃除からはじめ、コーヒーまで入れた。

会社を、やめさせられたくなかった。

 

デザイナーになりたかった。
仕事ができるようになりたかった。

 

金がたくさんもらえるようになりたい。なんて
考えた事もなかった。

 

ただ仕事をしたかった。
アイディアを形にしたかった。

 

先の事なんて何にも考えられなかった。

 

徐々に、仕事が任されるようになって
罵倒される事も減ってきた時、私は壊れた。

 

身体のアチコチが痛くて
病院をいくつも周り、検査を受け
何もないのに、何かあるんじゃないかと夜眠れなかった。
仕事中に、パソコンの画面が見えなくなり
気がつくと、なんの感情もなく
ただ涙が壊れた蛇口のように出てた。

何週間も、何ヶ月もぐっすりと眠れた記憶がなかった。

 

でも、会社は辞めなかった。

仕事も、楽しいできることが嬉しい。
そんな風に思えなくなって、周囲の人が憎くなった。
そう思う自分が一番憎かった。
少しのミスで怒られる度に、死にたくなった。

 

どうにかして、このモヤモヤを吹き飛ばそうと
土日は、買い物、ライブ、イベントと外出しまくった。

 

ライブの翌日、
傘に当たる雨の音が聞こえなかった。

 

翌々日、病院へ行った、即入院だった。

2週間入院し、会社はそのまま退社した。

 

病院は、会社の入っているビルのはす向かいだったので
入院してる間、よく会社のベランダみてた。
時々、先輩がタバコ吸いに出て来てた。

 

ただただ不甲斐なくて、
迷惑をかけたことが悲しかった。

 

こうなるとは思っていなかった。
でも、知っていたとしても

私はデザイナーになりたかった。

 

だから、

今もデザイナーです。

 

時給だし、期待もされないけど。ね。