グラフィックデザイナーだけはやめとけ。

一生貧乏で、一生孤独なしんどい職業です。

広告デザイナーの懺悔

物やサービスを実際よりも、よく見せる仕掛けや言葉を操りながら何年もやってきました。最初は、嘘を方便などと言笑いながら言う周囲の人に憤りも感じましたが、何が何でもデザイナーで生きていこうと決めたとき、ハッキリと自分に良心は捨てようと誓いました。その時の事は、今でもすごく鮮明に覚えています。

 

今は、メーカーの中にいて、しかもデザインの力で売り上げを期待しない会社なので、それほど良心に呵責を感じずに仕事をしていますが。

 

時々、昔の事を思い出します。

若いときネットで知り合った人に、デザイナーなんですよ。カタログや新聞の広告とかやってる。と話すと、苦虫を噛み潰した顔で、ああ免責事項や注意事項を読めないような小さな字で書く人ね。と言われて、苦笑いした事があります。

 

誰の為に仕事してるのかって、お金もらえる人の為に仕事してるんで、もちろんクライアントの売り上げを上げたり、イメージをアップさせたりが最重要事項です。
でもさー、お年寄りに読めないような小さな文字で※〜を書いて、何かあったら記載されてますよって言うんだよね。
本当にそれを欲しい、必要としている人を騙してる気がして、どれだけ捨てたと思ってても時々酷く辛かったな。

 

広告って言っても、全部が全部そうじゃないし、もちろん良心的なクライアントさんに、言い過ぎってむしろ嗜められる事もあった。

でも、広告は暗黙のルールの中でできてるんだから、そのルールを知らない奴ら、読みこなせないユーザーがバカなんだってどこかで自分を騙しながら仕事してた。

疑われないように、悟られないように、

バカでもわかるような、わかりやすいコトバ
バカでもスゲーと一瞬でわかるような、ビジュアル

わかりやすく、わかりやすくしていった結果、日本人の理解力の低下を招いたんじゃないかと、思わなくもない。

デザインの仕事しながら、

気がついて欲しいと思ってたし、疑って欲しいと思ってた。
仕組みや、システムを考えて欲しい。
そんな簡単に、手に入る物が、安全なわけない。

考えて欲しかった。

 今は、ツイッターやネットがあるから、多様な意見が見ようと思えば見られる。

広告に関しても、好きや嫌い、気持ち悪い。素敵。そんな感想だって聞ける。


耳障りのいい言葉やビジュアルやシステムに乗っかるのは、簡単で、みんなと同じような意見ならイチイチ考え込む面倒な作業も必要ないかもしれない。ないかもしれないけど。なんか、怖い。
自分の中に正しいを持たないで人生を生きている人は、どうやって進む先を見つけるんだろうか。いや、私だって私の中の正しいに確信があるわけじゃない。迷って、疑って、大半は間違って、でも許されて、これかなあ。と思いながら生きてる。
みんなの正しいを尊重したり、やっぱり疑ったり、より深く考察したりしてる。

私は、バカだなって思いながら。

バカの為に仕事してると思ってたあの時の自分にバカはどっちだよ!って言いたい。けど仕事だからまあ、仕方がなかったんだけど。
今も、同じような新商品ガンガン出して、素敵に見せて売るお仕事なんで、あんまり変ってないけど。仕事だから仕方ないんですよ。これしかできないし。

 

だから、お願い。みんなもっと賢くなって!
何が違うんだろう。何かがオカシイんじゃないかって、疑って!

下のブログ読ませてもらった時に

 

「 もし、一億総活躍社会を掲げるなら多様性とやり直しを認めようよ…

 

って、あって、多様性っていい言葉だと思った。
広告のデザインって多様性をもたせないようにしている時があったな、と思い出したのでした。
もちろん、良心をもって仕事しているデザイナーの人が大半だと思います。
クライアントさんといい関係のところとか。

 

tm2501.hatenablog.com