グラフィックデザイナーだけはやめとけ。

一生貧乏で、一生孤独なしんどい職業です。

生まれ変わる

いくつかブログをもっていて、長い所だと10年以上書き続けてる物もあったりして一応、自分の中でのカテゴリーがあるので、書きたいテーマができると一番合う場所で書いてます。(というほど、最近は更新してませんが)

プライベートに近い事を書くブログは別にあるんだけど、身内が時々みているのが分かっているので今回はココのブログにかいておきます。

 

ここ3年位で、生まれ変わってる感じがするんですよ。
生まれ変わってるなんて言葉はつい最近気がついた表現なんだけど。

鬱やってから。苦しくて、もがいて、
なんとかそれでも会社行って、毎日パニックと戦いながら通勤もして
時々どうにもならない鬱っぽい気持ちをどうやって乗り越えたらいいのか、考えて実行して、失敗して、でもまた新たな乗り越え方を考えて、実行して、ちょっと成功してって繰り返して、気持ちの平安の保ちかたをちょっとづつ習得してきた。

3年前に

自分を楽しませるためだけの何かをしよう。と思って
色々とはじめたんだけど、これがね、結構難しいんですよ。

自分が楽しむ。って。

誰かと比べる事無く、純粋に自分が喜ぶ事をする。

心の底から、うひゃー!楽しい!!って一人で思うこと。ありますか?

(そう思うときって、大抵側に一緒に笑っている誰かがいるんだよね。)

 

昔はあったんですよ。高校の同人活動に一番熱心だったころ。
私トーン張るのがすっごく好きで、後すごく細かい模様をペン入れる時。(笑)

ものすごい集中力でものすごく楽しかった。
でも、続けていくと本が売れる、誰かが喜んでくれる。って他の要因の方が喜びになってしまうんですよね。

悪くはないんですが、そうなると誰かのためとか、売るためにすべきこと。みたいなのが入って来ちゃって、(同人誌ですら)やっぱりどこかでストレスや疲弊が生まれて、純粋に喜びだけじゃなくなるんですよ。

悪い事じゃないんですよ。
でも、疲れる。 

 

今も仕事以外でやってる事があって、遊びなんだけど毎年繰り返す事なんで、去年を越えないと、常連さんをもっと喜ばせないとと思ってて、自分が楽しい事よりもどうしても何か別の単位になってる。もちろん全部自分の経験値になるし、そのうち仕事にもフィードバックできるかもしれないからいいんだけど。

いいんだけど...って語尾が濁ってしまう。

 

そこで、完全に自分だけを喜ばせることをはじめてみた。
誰にもその遊びの事を話さないから、批判も比べられる事も傷つけられることもない。
賞賛も、完全な満足もないけど、いいと思ってる。

それが3年前。

好きなタイミングで好きなボリュームで好きなだけ続けてる。
3年経ってみたら気持ちが安定しているので、飽きるまで、やってればいいよ。と自分で自分に言ってます。

(お話を書くとか、そういうの)

 

生きてきてずっと苦しかった。 今ようやく、楽になったと思える。
子どもの頃から、大人になれば生きるのは楽になるって信じてたんだけど、思ったより楽になんてならなくて、絶望した。 
つい3年前まで自分が何に喜びを感じるのかすら、気がつかなかったくらい。
自分が嫌いだった。

 

嫌いなのは、何かと比べているからで
何があっても自分を信じてあげようとは思えなかった。
(他人が信じてくれないと自分を信じる事ができなかった。)

 

やっと3年前から「自分だけを喜ばせる自分」を作る事で自分を好きでいてあげよう。愛してあげようと思えるようになってきたので、どうして自分を信じる事ができないのか考えていたら、母親からの教育(愛情)だったんだなと気がついた。

だから、自分の中の【母親の気持ちをそっくり受け継いでいた。】部分を丁寧に分離していった。
これは、母親の考えや気持ち。
これは私が苦しみや経験の中から得た考え。
これは母親がそうしたい、そうなりたいと思う事。
これは私が欲しいと思うもの。とかね。

 

すると、40年ずっと信じていた母親像がすっかり変ってしまい
やっと本当の母親が見えた気がする。

知らず知らずの内に、自分の中に大きくなっていた母親の思想。

それを取り外すことで、私は私としてやっと生きていける気がする。

 

あー生まれ変わるんだ。(むしろ、やっと生まれたんだ)
なんとなく、歩きながら思った。

 

人生も折り返しかもしれない。
でもさー、いくつになっても、何年生きて来ても、何度でも生まれ変われるんだよ。
古い自分を脱ぐ事はできるんだよ。

 

生きる事は面白いと思う。

楽しくはないかもしれないけど。

 

長くなりそうなので、この辺で。
デザイナーになってよかったというトコロに落ちる予定だったんだけど。
おかしいなあ。(笑)